同人サークルをやっていると、コミュニティは機械か車のようだと、しみじみ思います。活性化させるためには、エンジンや、歯車や、繋ぎ止めるためのネジ、滑らかに動かすための油、他にも色々なパーツが、ほどよいバランスの上に組み合わされなくてはならないのだと。

それらの設計をうまくまとめあげるバランス感覚の良い人が、この同人世界にもごく稀にいます。人間関係を感覚的に築いていく人のことです。バランス感覚の良い人には、その人なりの人間関係構築メソッドが存在するのかもしれませんが、形がないものの良い悪いを決めるのは感覚的な部分ですから、私からは一種の才能のように見えます。

けれどバランス感覚の良い人も、バランス感覚が良いというだけで、自分が座る椅子は自分で作っている。同人サークルをやっていると、そういうことにも気がつきます。趣味が合えば当然話も合うし、当然仲良くなれる…わけではなく、それぞれ生きてきた環境で、培ってきたそれぞれの価値観の上にコミュニティがあり、それぞれが噛み合わさって初めて動き出す、蔑ろにするとすぐに錆びついてしまうので、たまにエンジン点検をして、油をさして、ネジを締めて、みんなでコミュニティを動かし続けていく。バランス感覚の良い人は、その調整が上手い人というだけで、それは才能の一種であると同時に、努力の一種とも言えるのではないでしょうか。

人の生活では、仕事もプライベートも関係なく、ひとりではできないことがたくさんあります。コミュニティとは、ある日突然築き上げられるのではなく、助け助けられ、与え与えられの繰り返しで出来ていくものです。それを蔑ろにしてきた人が、他人を「派閥」「横のつながり」「コネ」と乏し、自分が仲間外れにされたと駄々をこねるのは、見ていて美しくないですね。絵が描ければ、歌が歌えれば、顔が良ければ、大手サークルになれば、人間関係構築の努力をしなくていいなんてことはありません。

自分の人生の主役は自分ですが、世界は自分のために回っているわけではありません。世界に、腰掛ける椅子を置きたいなら、自分で作るしかないのですね。